Virginia Statute For Religious Freedom | Japanese

宗教の自由に関する法

宗教の自由に関するバージニア州法

全能の神が思想の自由を創造してきたことに対し、一時的な罰または苦難、あるいは市民に無能さにより、それに影響を与える試みのすべては、偽善および卑劣な慣習を引き起こすだけになりがちであり、我らの宗教の神聖な著者である神の計画から逸脱している。その著者である神は、肉体と精神の双方を支配してはいるが、神の全能の力において可能であるとはいえ、そのいずれも強制によってその支配を広めることを選択していない。誤りを犯しがちな創造性のない、立法者、指導者、市民並びに聖職者の不敬な推定は、自身の意見と考え方を唯一正しく絶対確実なものと定め、他者の信仰を支配するものとしてきた。他者を威圧するためのそのような試みは、世界の大部分にわたって、また歴史全体を通して誤った宗教を樹立し、維持してきた。人をして、信じていない意見の伝播のために金銭の寄付の提供を強制することは、罪深くかつ非道な行為である。さらに人にその人自身の宗派の一定の師の支持を強要することは、その道徳観を行動の傾向の基礎として、その権力を正しさに対し最も説得力があると感じている特定の牧師へ寄付を行うという、満足の行く自由を奪うことである。また、その個人的な行為の称賛から生まれ、人間の指示のためのひたむきかつたゆまぬ努力に対するさらなる動機となる一時的な報償を聖職から奪うことになる。我ら市民の権利が宗教上の意見に依存するものではないことは、物理学や幾何学における意見に依存するものでもないことと同じである。それゆえ、あれこれ宗教上の意見を信仰したり、否認したりしない場合は、市民に信託・給与の職位に就く資格がないと言うことによって、いかなる市民も国民の信頼にふさわしくないとして排斥することは、同市民が生来持っている、他の市民と共有する特権や利点を無分別に剥奪することである。外面的に信仰し、それに従う人に世俗的な名誉と報酬を独占して賄賂をおくることは、その宗教が促進しようとしている原理を堕落させるだけである。実際にそのような誘惑に逆らうことができない人々は犯罪者であるとはいえ、さらに誘惑を提供するような人も無実とは言えない。民政官に対し、その権力を意見の場に無理に押し付けたり、悪い傾向を支持するために、原理の表明や伝播を抑制することを許したりすることは、危険な誤った考えであり、すべての宗教的な自由を瞬時に破壊するものとなる。何故なら、そのような傾向に判断を下そうとしている民政官はその意見を判断の基準にし、彼自身の意見に一致しているか、または異なるかということのみに基づき他者の意見を認めたり、責めたりするからである。原理が平和と秩序を乱す明白な行為になっているときこそが、市民政府の正当な目的およびその役人が干渉する時である。そして最後に、真実は偉大であり、そのままにしておけば普及する。人間が介入することによって、自然の武器である自由な討論や議論が取り上げられない限り、真実は誤りに対する適切で十分な抑制因子であり、衝突において恐れることは何もなく、誤りに対して自由に反論することが許される場合、誤りは危険ではなくなる。

一般総会によって成立されたことは以下のとおりである。何人もいかなる宗教上の礼拝、場所、聖職者への行き来や支持を強制されないものとし、どのようなものであれ、その身体やものに強制、制限、虐待、負担を加えられないものとする。また、宗教上の意見や信仰の理由でそれ以外の方法により苦悩しないものとする。しかし、何人も、自由に宗教のことで意見を公言することができるものとし、またそれを論争によって維持することができ、同様に、宗教によってその市民の能力が縮小・拡大、または影響されるようなことがあってならないものとする。

そして、我らは立法のみの通常の目的で人民によって選出されたこの議会が、続く議会による法令を制限する権限がなく、我ら自身のものに等しい権限で構成されており、それゆえ、この法令が取り消し不可能であることを宣言することが、法に影響を与えないことを熟知しているが、しかしなおかつ、我らはここに主張される権利は人間の生来の権利であり、今後この表明を撤回するような、またその施行を制限するようないかなる法令が議会を通過しても、そのような法令は生来の権利を侵害するものであると自由に宣言することができ、正にここに宣言する。

出所:W.W. Hening,編集、 バージニア一般法規( Statutes at Large of Virginia)、第12巻 (1823): 84~86ページ。